法華宗北海教区寺院
通称 おとくさんの寺
長応寺の本堂
 当山創立は1473年三河国宝飯郡上ノ郷城主鵜殿(うどの)藤太郎長将の寄進によって、創建され、鵜殿家累代の菩提寺となった。寺号は長将の『長』と法名の応仙大居士の『応』の字をとって『長応寺』と号した。1562年上郷城の落城時、寺も類焼した。
柏原城主鵜殿長忠の養女おとくの方が、家康公の側室・西ノ郡の局(にしのごおりのつぼね)となる。局有縁の日翁は江戸の日比谷へ移し、159 2年再建された。下谷竹町、八丁堀、1635年芝・高名輪に移転し、堂坊12院を有し、日蓮門下勝劣派の触頭(ふれがしら)となる。
 1893(明治26)年、総本山本成寺の焼失により、その再建のため、芝伊皿子の境内地所を処分することになる。明治30年代に、29世日聡は北海道天塩の新地開拓を目的とし移転した。(現・天塩妙法寺)大正8年全焼したため、農場をやむなく処分し、大正11年現在地に再建した。
一塔両尊と四菩薩坐像
境内の大聖人像
再建された鐘楼