柳沢 勝 前理事長を偲んで
 【柳沢 勝 前理事長】

 昭和57(1982)年、函館太洋倶楽部理事に就任。昭和59(1984)年、副理事長。昭和61(1986)年に理事長に就任。この年がオーシャン倶楽部創部80周年の年で、その後、創部90周年(平成8年:1996)、創部100周年(平成18年:2006)と、四半世紀にわたり倶楽部の歴史の節目、節目を支えてきた。創部100周年を成功裏に終えたのを機に、平成19年6月、理事長を退任する。残念ながら、去る11月21日午後4時過ぎ、心筋梗塞で突然倒れ、帰らぬ人となった。柳沢前理事長の、これまでのご功績に対し深く感謝の意を表しますとともに、心からご冥福をお祈り申し上げます。永い間、たいへんありがとうございました。
前理事長の思い出
平成18年7月17日、函館オーシャンスタジアムで行われた創部100周年記念・茨城ゴールデンゴールズとの親善試合前、欽ちゃんこと、萩本欽一監督との記念撮影。この日は、奇しくも、前理事長、64歳の誕生日でした。 平成18年8月10日、栃木県足利市で開催された第31回全日本クラブ野球選手権大会の試合前、(財)日本野球連盟より記念表彰を受ける柳沢前理事長。お忙しい仕事の合間をぬって応援に駆けつけていただきました。おかげで、この試合は延長10回の裏、サヨナラ勝で、19年ぶりの全国大会勝利をあげることができました。 平成19年11月29日(木)、午後1時よりホテル函館ロイヤルにおいて柳沢前理事長とのお別れ会「告別献花式」が執り行われました。当日は、2,000名を超える方々が弔問に訪れ、「人と人との出逢い」を何よりも大切にしていた故人を偲ばれておりました。

 創部80周年(1986)、90周年(1996)、100周年(2006)における前理事長のトピックス

80周年 90周年 100周年
 幾星霜を経て函館太洋倶楽部は創部80周年を迎えることになりました。明治40年の創部以来、多くの市民の方々や関係者のご支援とご協力を賜り、衷心より感謝申し上げます。私共は昨年末より函館太洋倶楽部80周年記念行事実行委員会を結成し、以来たび重なる会合を持ってまいりました。しかし、今一つ活動が盛り上がりに欠けたまま、今日を迎えております。私共は、函館に明るい話題を提供し、市民の方々に楽しんでいただこうと思い企画しました。多くの栄光と幾多先人の伝統の灯をともし続けている太洋倶楽部は、函館の生きた文化財であり、夢と希望を与えてくれます。現場では、高石監督以下少数精鋭の選手たちが毎日黙々と練習に励んでおります。私共は80周年を祝うべく、社会人野球函館大会、早稲田大学戦、回顧展、80周年誌発行等々の行事を企画しております。ご期待ください。最後に、太洋倶楽部に寄せられます皆様方のご理解とご支援、ご協力のほどをお願い申し上げ、あいさつといたします。


昭和61年8月1日付け、北海道新聞の80周年記念広告における理事長挨拶
 函館太洋倶楽部理事長の柳沢勝(54)は、全日本クラブ野球選手権の始球式で、木戸浦隆一函館市長が投げた直球を打ち返した。いい当たりのショートゴロ。「型破りな自分らしいでしょう」と目を細める。柳沢は観光、ホテルなど多角経営を手掛ける魚長食品社長で、函館を代表する経済人。「高校時代はテニスの国体選手」で野球は門外漢だったが、85年(昭和60年)に「なり手がなくなった」理事長を引き受けた。「函館の経済とオーシャンの盛衰は一致している」と柳沢。選手の就職先の開拓、活動支援など陰に陽にオーシャンを支える。「オーシャンは市民の財産。その灯を消さず、次の世代につなげるのが私の役目」


平成8年、北海道新聞「オーシャン90年・夏・人模様」古豪復活 願いは一つ より
 「オーシャンのことをよろしく頼む」−−−。1985年(昭和60年)、中野勲の後任理事長に柳沢勝が決まると、千代田小学校時代の恩師・増田利夫から突然こんな電話がかかってきた。「我々より上の世代のオーシャンに対する熱い思いを感じた」(柳沢)のと同時に、オーシャンという地元の文化を継承する重大さを改めて知る思いだった。柳沢の理事長就任について「オーシャンが原点に戻った」という見方がある。水産業で栄えた街・函館。小学校教師たちが創部したチームを水産関係者がバックアップし、市民が熱狂し声援を送った。当時の函館はずっと活力のある街だった。増田は教え子である柳沢に名門復活の期待をかけたのだ。文化の継承・再生は柳沢の持って生まれた役目なのかもしれない。1911年(明治44年)に建築された赤レンガの旧函館郵便局を1986年に観光施設「明治館」として再生した。これが函館のウォーターフロント開発の先駆けとなり、1994年の「函館西波止場」開設へと続いていく。寂れた西部地区を日本有数の観光の街に一変させ、再生した。新しい街をひとつ創ったといってもいい。古いものを生かしながら新たなものを創造することはオーシャンの運営ともダブって見える。理事長就任早々から2年連続で全日本クラブ対抗準優勝。1986年の早大との親善試合、1996年にクラブ選手権を函館に誘致するなど、80、90、95、100周年記念行事を成功裏に終え、オーシャン再生へ20年以上尽くしてきた。2006年8月、観光業で多忙ななか、10年ぶり出場となった全日本クラブ選手権大会を足利市総合運動公園野球場で観戦。炎天下のなか、オーシャン19年ぶりの全国大会勝利を見届けた柳沢は「そろそろ次の世代にバトンタッチする時期。増田先生も喜んでくれたかな」とつぶやいた。


2006年12月1日発行、小林肇著「函館オーシャンを追って」より